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専門性という言葉の意味

2010年5月14日 金曜日

厚労省の検討会の一つに“チーム医療の推進に関する検討会”というのがある。平成21年8月から11回にわたって検討会が行われ、“チーム医療について”という報告書が提出されている。その内容の如何については別に述べるとして、そのなかで使用されている“専門性”という言葉の出現頻度に驚かされる。これほどまでに専門性という言葉を用いなければならない理由とは何なのだろうか。そもそも“専門性”の意味するところは何なのだろうか。

筆者は医療経営学者である。医療経営学的解釈を試みてみよう。

医学の進歩は、臨床現場における様々な行為(侵襲性の高い医行為から励ましや看取りまで)の範囲の拡大をもたらした。行為だけではない。その前提としての様々な知識の広がりももたらされた。全人的医療という言葉が流行った一昔、患者を一個の人格として、心身を一つの単位として総合的に理解しようという運動があったと理解しているのだが、その運動の存在が薄くなるほどに医学の進歩とその範囲の拡大は急速であったのだろう。特定の領域についての関心をもつ医師が生まれ、彼らは垣根を作り始める。開拓者が自ら開墾した農地に柵をめぐらし他者の侵入を防ぐかのように。ここに“専門性”の一つの意味がある。領域を確定することによる既得権の確保である。

また、一方で、“峰高ければ裾野は広い”という“専門性”もある。前述の“専門性”とは趣を異にする。広大な裾野からのせり上がりが富士山だということだ。裾野には垣根も柵もない。北アルプスの山々も同様である。峰が天に向かって峻険であればあるほど裾野は広大である。幅広い知識や経験、人に対する慈しみや生命に対する畏敬、あるいは医療に対する強烈な情熱や使命感といった裾野の広さをもっているのが医者である。そう信じている。だから医者を尊敬できるし信頼できる。山々は仰ぎ見て崇拝の対象にすらなる。周りがその存在を感じるものなのである。

自己申告による“専門性”と周囲が感じ取る“専門性”。医療経営学者であることを宣言しなければならない筆者はまだまだ峰低く、したがって裾野も小さいということである。

次回はチーム医療の定義について語ろうと思っている。

(谷田 一久)